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光り輝く国、スリランカ

■スリランカの見どころ

コロンボ =Colombo=

コロンボ植民地時代の香りとコロニアルな町並みを残すコロンボ。小さな漁村がアラブ商人との交易がきっかけで開かれた港町となり、のちにポルトガル、オランダ、イギリスと続く植民地支配の中で本格的な港湾都市へと変貌していった。コロンボの中心地は、コロニアルな雰囲気が最も強く残る官庁街「フォート(Fort)」と、スリランカ随一のバザールがある庶民の町「ぺター(Pettah)」の2つに大別できる。小さな運河を隔てて西にフォート地区、東にぺター地区があり、意図的に区画整理したわけではなく、長い歴史の中で自然に調和を重ねながら形作られたのである。
バンダラナイケ記念国際会議場(BMICH)
バンダラナイケ記念国際会議場は、スリランカの西部州コロンボにある国際会議場。略称はB.M.I.C.H。 バンダラナイケとは、スリランカ第4代首相であるソロモン・バンダラナイケのことであり、場内には彼の業績の展示スペースがある。
ゴール・フェイス・グリーン
フォート地区の南、ゴール・ロード沿いの海に面して広がる「緑の芝生」のエリア。イギリス統治下であった1859年に当時のセイロン総督ヘンリー・ジョージ・ワードが発案して作られた。当時は競馬場あるいはゴルフ場として使用されていた。


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ニゴンボ =Negombo=

ニゴンボコロンボの北35kmの海岸沿いに位置する港町。コロンボと同様にかつてアラブ商人のシナモン貿易の基地として利用され、後にポルトガルやオランダの植民地時代には重要な港として発展した。国際空港に近いため近年トランジット客のためのリゾートホテルが町の北部に次々と建設され、現在スリランカの一大リゾートエリアのひとつになっている。
ムトゥラジャワラ・ビジター・センター
コロンボとニゴンボの中間に位置し本格的なバードウォッチングが楽しめる。ムトゥラジャワラ動物保護区に隣接し、マングローブの森をボートツアーに参加する。


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キャンディ=Kandy=

キャンディ キャンディ キャンディ古都キャンディは、古きよき伝統といにしえの栄華を静かに漂わせる日本の「京都」のような存在で、標高300mほどのなだらかな山々に囲まれた狭い盆地にある。紀元前4世紀にアヌラーダプラで興ったシンハラ王朝は、南インド王朝から度重なる侵入を受け、何世紀にも渡って首都を転々と移して最期に辿り着いたのがここキャンディであった(15世紀)。当時、遷都の度に運ばれたのがスリランカの仏教徒にとって最も大事な「仏歯(ブッダの歯)」で、現在も仏歯寺に厳重に保管されている。 年に一度、夏に仏歯寺から仏歯が運び出され象に乗せてキャンディの町を行進する「ペラヘラ祭」が有名である。
仏歯寺
キャンディ湖畔に佇むスリランカを代表する仏教寺院で仏歯は1590年に当時の王によって運ばれた。 寺院は夜明けから黄昏まで開門され、参拝自由であるが、仏歯の部屋が開扉されるのは1日3回のプージャー(仏への礼拝)の時だけ。そのときはスリランカ中から集まった多数の参拝者で院内は埋め尽くされ楽器の音とともに真剣な祈りが行われる。

ペラデニア(ペーラーデニヤ)植物園
総面積5.6平方キロメールの広大な敷地に4000種類以上の植物が彩る。14世紀にパラークラマ・バーフ1世が王妃のために作った庭園が元に、イギリス占領下の1821年に現在の植物園として開園された。
ピンナワラの象の孤児院
キャンディの西30kmにある町キャーガッラ(Kegalle)の郊外にあり、ジャングルで親を亡くしたり、はぐれてしまった小象や傷を負って保護された大人の象など100頭余りを保護している施設。小象のミルクタイム(1日2回/9:15と13:15)や乳児以外の象が対象でレストラン下の川での水浴びタイム(1日2回/1000-1200と1400-1600)などが有名。
ペラヘラ祭(Esala Perahera)
"ペラヘラ"とはシンハラ語で「行列」の意味で、スリランカの古都キャンディにて毎年7月から8月頃の満月の夜に行われるスリランカ最大のイベントです。仏歯を納めた舎利容器を背に乗せ、電飾されたゾウを先頭に音楽隊が街中を歩いてパレードします。
※2017年は7月29〜8月07日に開催されます。
●2017年ペラヘラ祭り(参考サイト)


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ヌワラ・エリヤ=Nuwara Eliya=

ヌワラエリヤ”ヌワラ・エリヤ”とは、シンハラ語で「光あふれる町」の意味。キャンディから高原地帯を走る別名「紅茶列車」に乗ってヌワラ・エリヤへの列車旅行が有名(最寄り駅は「ナヌオヤ駅」)。ヌワラ・エリヤを中心とする丘陵地帯は、セイロンティーの本場で郊外は一面緑の茶畑が広がっており、ペドロ・ティーセンターやラブケリー・ティーセンターなどティーファクトリー(茶葉精製工場)がある。また、イギリス植民地時代には避暑地として栄え、当時の名残として現在も広い芝生の庭をもつ英国風の建物が点在している。


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アヌラーダプラ=Anuradhapura=

アヌラーダブラ アヌラーダブラ紀元前500年頃に栄えたスリランカ最古の都がアヌラーダプラで、仏教はこの地からスリランカ全土へ、そしてミャンマー、タイ、カンボジアへと世界各地に広がった。紀元前3世紀にはインドのアショーカ王の王子(息子)マヒンダよりスリランカに仏教が伝えられ、続いて王女のサンガミッターがインドのブッダガヤから菩提樹の分け木(スリー・マハー菩提樹のもと)を携えてこの地を訪れたといわれている。 非常に高度な文明を持っていたといわれるシンハラ王朝が作った灌漑施設や上下水道は現在も人々に利用されている。南インド王朝からの度重なる侵入と抗争の末、シンハラ王朝は10世紀にこの都を放棄して南へ遷都することとなる(繁栄は1400年で幕と閉じる)。

イスルムニヤ精舎
ティッサ・ウェワ湖のほとりに造られた石造寺院(ロック・テンプル)で岩の上に造られたダーガバ(仏塔)、極彩色に塗られた仏像が横たわる本堂、貴重な発掘物を納めた宝物館などがあり、アヌラーダプラの遺跡群の中でも趣が違い特徴的である。
アヌラーダプラ遺跡地区の代表的な建造物
@ルワンウェリ・サーヤ大塔/遺跡地区の中心に建つ高さ110mの純白の壮大な僧院(周囲の門壁には無数の象の彫刻)
Aトゥーパーラーマ仏塔/釣鐘型の高さ19mの白い仏塔(ダーガバ)で仏陀の右鎖骨が奉納されているといわれるアヌラーダプラ最古の建造物
Bジェータワナ・ラーマナ/アバヤギリ大塔によく似たレンガ造りの仏塔
Cアバヤギリ大塔/かつての大乗仏教の総本山
Dミリサワティ仏塔/
Eランカラーマ仏塔/
その他/クイーンズ・パビリオン(ムーンストーン)


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ミヒンタレー=Mihintale=

ミヒンタレーミヒンタレーは正式には「ラジャマハー・ヴィハーラ」という寺院で、スリランカで最初に仏教が伝えられたとされる聖地である。アムバスタレー大塔はアヌラーダプラの王がアショーカ王の王子マヒンダと出会った場所で、大塔の西側にはマヒンダが瞑想したといわれるインビテーション・ロックがある。


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ポロンナルワ=Polonnaruwa=

ポロンナルワシンハラ王朝の2番目の都。10世紀末頃、度重なる南インド王朝の侵攻に抵抗してきたでシンハラ王朝は、ついに1400年間続いたアヌラーダプラを放棄して都をポロンナルワに移している。12世紀の権勢を誇ったパラークマラ・バーフ1世の治世では、灌漑用貯水池パラークマラ・サムドラや多くの建築物を建造し、タイやビルマからたくさんの僧侶がこの地を訪れる一大仏教都市へと発展させた。しかし、13世紀には再び南インド王朝の侵略を受け、都は廃墟と化している(1017年〜1255年の240年弱)。
<主な見どころ>
クワドラングル(城壁に囲まれた遺跡集積地)
ランカティカ(巨大な仏像)
キリ・ヴィハーラ(白い仏塔)
ガル・ヴィハーラ(涅槃象・立像・座像の3仏像)


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シーギリヤ=Sigiriya==

シーギリヤ古代から仏教僧たちの修験場だったシーギリヤロック。高さ200mの猛々しいライオンの岩山の頂上には王宮が建設され、侵入者に対しては投石機で阻止できるように要塞化されていた。5世紀後半アヌラーダプラの王ダートゥセーナの長男カーシャパ(カッサパ)は、腹違いの弟モッガラーナに王位継承権を奪われると恐れ、父(王)を監禁して王位を剥奪しのちに殺害を強行するになった。インドに亡命した怒り心頭の弟モッガラーナとの戦いで呆気なく破れ治世はわずか11年といわれている。
<主な見どころ>
美女のフレスコ画(シーギリヤレディ)、ライオンの入り口、ミラーウォール(鏡の回廊)、王宮跡など


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ダンブッラ=Dambulla=

ダンブッラスリランカ最大の石窟寺院。キャンディとアヌラーダプラを結ぶ幹線道路沿いにある小さな町で、岩山の頂上付近にあった天然の洞窟を利用して、極彩色の仏画(壁画)と無数の仏像が彫られ奉られている。石窟は第1窟から第5窟まであり、第1窟が最も古く、番号は建造の古い順となっている。


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ゴール=Galle=

ゴールスリランカ南部の最大の町。14世紀にアラブ商人が東方貿易の拠点として築き、16世紀にポルトガル、17世紀にオランダ、19世紀にイギリスにと支配されてきた。半島を囲む砦の中は「旧市街」、その北側に「新市街」がある。砦の上は歩道になっており、旧市街観光はまずこの砦の上を歩いて半島を一周することからはじめるのがいい(入り口はメインゲートとオールドゲートの2箇所ある)。コロニアルな町並みや雄大なインド洋の景色が見渡せる。ムーン要塞からは旧市街と新市街の両方が俯瞰できる(注意:時計塔は登頂不可)。


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■スリランカの基本情報

■スリランカってどんなとこ?

かつてセイロンと呼ばれ、日本ではセイロンティーでおなじみのスリランカ。 紀元前3世紀にインドから仏教が伝来し、今や国民の7割以上が敬虔な仏教徒である。「仏歯」という仏陀の聖遺物が歴史の渦中で大切に守られ、今も古都キャンディで年に1度の「ペラヘラ祭」の形で盛大にお披露目されている。一方、大航海時代にはスリランカは海のシルクロードの重要貿易拠点となり、欧州と東アジアの流通の架け橋となった。そしてのちの英国植民地時代には、英国式の邸宅が高原地帯に数多く造られ一大避暑地へと開発され、英国の嗜好品「紅茶」の大規模栽培が今やスリランカの代名詞にもなっている。 またインドから伝わった伝統医学「アーユルヴェーダ」は今や本場のインド以上に注目を集め、世界各地からその施術を求めてたくさんの人々が訪れている。

■スリランカの気候は?

熱帯性モンスーン気候に属するが、熱帯性の割には過ごしやすく、気温は年間を通じて余り変化がない。地形による気候の差は顕著で海岸部や低地は暑く、標高1,000mを超えるところは年中春のように過ごしやすい。

■スリランカの習慣・マナーなど注意することは?

仏教遺跡などを訪れる際は、ノースリーブや短パンなど露出の多い服装は避けること。また、靴を脱ぐ機会が多くなるので脱ぎやすい靴が便利。 仏教やヒンズー教やイスラム教など宗教と生活が密接しているところでは宗教上の習慣を尊重し、軽はずみな行動はしないこと。


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スリランカ民主社会主義共和国
Democratic Socialist Republic of Sri Lanka

スリランカの国旗
政体:共和制
言語:公用語(シンハラ語,タミル語),連結語(英語)
住民:シンハラ人(74.0%),タミル人(18.0%),スリランカ・ムーア人(8.0%)など
宗教:仏教徒(70.0%),ヒンドゥ教徒(10.0%),イスラム教徒(8.5%),ローマン・カトリック教徒(11.3%)
面積:6.56万Km2(北海道の約0.8倍)
人口:約2,048万人
通貨:スリランカ・ルピー
時差:マイナス-3時間30分

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