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エジプト

■エジプト全体地図

エジプト見どころ

カイロ(Cairo)

カイロ中心地=Central Cairo=
交通量が多く朝早くを除いて常に騒音が凄いです。アフリカ最大の都市で、エジプトの人口の約30%ほどが住んでいます。カイロの町が本格的に発展してきたのは、アラブ軍がカイロを征服してからのことで比較的カイロの歴史は新しいです。カイロ中心地では、エジプト考古学博物館やアブディーン宮殿などがあります。考古学博物館では、ツタンカーメンの墓で見つかったマスクや宝、エジプトの歴史的遺物を見ることができます。また、ミイラを見る事もできます。(ミイラ室は別料金100LE。ミイラ室の前にあるカウンターでチケットが買えます。)ミイラ室は温度設定がかなり低く設定されているため非常に寒いです。カメラなどの持ち込みが禁止されているため入場時にチェックされます。アブディーン宮殿は、1863年ムハンマド・アリ王朝のイスマイル王の命により建てられた最も有名な宮殿のひとつです。1952年のナセル革命以前までは代々王の住居でしたが、その後は大統領府の所有になりました。

イスラーム地区=Islamic Cairo=
1000のミナレッドの町と形容されるように多くのモスクが立ち並んでいます。大体5つの地区で分けられ現在でも中世の面影が残るカイロの下町です。アズハル地区にあるハンハリーリバザールは大半がお土産物屋で道の両側にお店がびっしりと並んでいます。かつて14世紀では中東最大の規模を誇っていましたが、今はその1部のみが残りバザールを形勢しています。高台のシタデル地区では、モハンマド・アリ・モスクがあります。イスタンブールにあるブルーモスクを真似て1857年に完成しました。内部は広く大きなシャンデリアやステンドグラスなどでとても豪華です。モハンマドアリのお墓も内部にあります。モスクの外からはカイロ市内が一望でき天気のいい日には遠くの方にピラミッドを見る事ができます。

オールドカイロ=Old Cairo=
カイロ南部にある、カイロ発祥の地。原始キリスト教会の流れをくむといわれるコプト教会が多くあります。7世紀は住民の多くがキリスト教信者でした。現在100以上残っている教会は、4〜5世紀に建てられたものと10世紀になって再建されたものがあり巡礼などで多くのコプト教信者が訪れます。マル・ギルギス駅から見える聖ジョージア教会はほとんど地下に埋もれた格好で建っており内部は薄暗いです。聖ジョージア教会を過ぎ歩くとエジプト最古のイスラム寺院ガーマ・アムルがあります。ガーマ・アムルの絨毯には一人一人の祈りのスペースが描かれており矢印の先になるほうがメッカをさしています。


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ギザ(Giza)

3大ピラミッド(全景) 古代エジプト文明の象徴、世界7不思議のひとつに「ギザの大ピラミッド」がある。ギザまではカイロ市内から車でおよそ30分(道が混んでいると1時間以上)。硬質の石灰岩の台地に3つのピラミッドは立っている。カフラー王のピラミッド前から伸びる参道の先にはライオンの頭を持ち人間の顔を持つ「スフィンクス像」が横たわっている。3つのピラミッドの中でクフ王のピラミッドが最も大きく、建築当時は146mあったが、現在は頂上部分が崩れて落ち137m(本来の高さがわかるように頂上に鉄の棒がささっている)。ピラミッドには、推定2.5トンの石灰岩のブロックが約230万個も使われ、完成までに23年の歳月を費やしたといわれている。ピラミッド内部にはカメラの持ち込みが禁止されており、入口でバッグ等の手荷物チェックがある。ピラミッドには入り口が2つあり、現在入口として利用しているものは皮肉にもかつて盗掘用として開けられた出入り口である。中に入り、上へと長い階段を登ると王の間(玄室)がある。そこは薄暗く石棺(と思われる)がひとつ置いてあるだけの殺風景な部屋で、ミイラや財宝などなにひとつとして発見されておらず、置かれた形跡すらないのがまた不思議である。クフ王のピラミッドの横には「太陽の船博物館」がある。ここで展示されているのは、死後、来世の世界(神の国・アメンティ)に行くために作られたとされたレバノン杉の最古の船です。この船は、クフ王の船と考えられているが定かではない。現在、太陽の船博物館の横にもうひとつ船が見つかり調査中である。
●クフ王のピラミッド(王位:B.C.2589〜2566頃)
高さ:146m、底面:230m×230m、積み上げた石:約580万t、角度:51.5度
●カフラー王のピラミッド(建造:B.C.2530年頃)
高さ:143m、底面:215m×215m、積み上げた石:約490万t、角度:58.5度
●メンカウラー王のピラミッド(王位:B.C.2532〜2503頃)
高さ:65m、底面:105m×105m、積み上げた石:約53万t、角度:51.2度


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カイロ郊外

●ピラミッド
古王国時代から造られ約1500年もピラミッド建造は続きました。しかし、古王国時代のように巨大なものは造られなくなっていきました。中王国時代になると建造方法が雑になり崩れやすいものばかりになってしまいました。 一番初めのピラミッドが造られたのは、紀元前27世紀、古代エジプト王国第3王朝時代にサッカラに建てられたジョセル王の階段ピラミッドでした。現在確認されているピラミッドは北のアブーラワーシュから南のラフーンまで全部で大小合わせて108あり、ほとんどがナイル川西側のギザ台地に造られています。この理由としては、西側は『あの世』であるという宗教観念があったということや、ナイル川が氾濫しても水が届かず地盤がしっかりしていたということが上げられます。ピラミッド自体が王のお墓であるというのもいまだ確信ありません。なぜならどのピラミッドからも王の遺体が出ていないことや、1人の王がいくつか建造した例があるからです。ピラミッドテキストには、王は死後天に昇り、太陽神とともに天空を巡ると考えられ【天への階段が彼らに造られる。それによって天に昇るために】と刻まれています。 以前は、ピラミッド建設は強制的に働かせ作らせたという考えが一般的でしたが、現在は公共事業としてナイル川の氾濫期に職がなくなる農民などに対しての失業対策であったのではないかといわれています。エジプト全土から人が集まるので言葉の統一化や地方ごとの技術を交換する場にもなっていたらしい。報酬として、パンやビールなどの現物支給をされていたことから労働者は進んで働いたといわれるようになりました。

●サッカラ=Saqqara=
ギザの南約10km。階段ピラミッドで有名です。この階段ピラミッドは、B.C.2650年ごろ造られた世界最古のピラミッドで、高さ約60m、基底部130m×110m6段の階段のようになっています。壁に囲まれ入口がひとつしかなく、そこから入ると柱間を通り中庭に出ます。この中庭に階段ピラミッドがあります。ここの中庭の砂はギザのピラミッドの砂とは全く違い非常にさらさらしています。また、階段ピラミッドの設計者を記念したイムホテプ博物館があります。サッカラまでの道は左右にヤシの木などが多くギザやカイロ中心とは違いのどかな風景です。

●メンフィス=Memphis=
ギザの南17km、サッカラよりナイル川寄りにあります。古代王国時代に初めての統一王国の首都として栄えました。メンフィス博物館には、足の1部分がかけている15mのラムセス2世の巨像が横たわっています。建物の中にあるので2階から見下ろし写真を撮ることができます。1階に下り間近でみることも可能です。外にはアラバスター製のスフィンクスがあります。このスフィンクスはギザのスフィンクスとは違い端正な顔立ちをしています。広場奥には、石棺やラムセス2世の立像などがあります。メンフィスは現在発掘途中です。

●ダハシュール=Dahshur=
クフ王の父スネフェル王の建造した赤のピラミッドと屈折ピラミッドの2つのピラミッドがあります。赤のピラミッドは、〈周りに何もない砂漠にポツリとある〉という日本人がもつピラミッドのイメージに一番近いピラミッドでしょう。赤のピラミッドは断面が二等辺三角形のピラミッドとしては最古のもので、石が赤っぽく見えることから名前が付きました。赤のピラミッドは中に入ることも可能ですが、かなり歩くので体力、閉所、臭いに耐えられる自信のある人のみが良いでしょう。屈折ピラミッドは赤のピラミッドから南へ2kmほど離れた場所にあります。高さ50mほどのところから角度が変わり52度から43度に斜度が緩くなっています。この理由は多々あるのですが、有名なのは王の死が近づいたからだと言われています。赤のピラミッドの角度も屈折ピラミッドの上部と同じ43度で作られています。

●メイドゥームとファイユーム=Meidum&Fayyum=
カイロから南に約100km。宿泊施設もない田舎の村の中に階段ピラミッドから四角錐の形に変わった最初のピラミッドがあります。建造したのはダハシュールにも2つのピラミッドを造ったスネフェル王だと言われています。現在は崩れ台形のような形になっていますが、ピラミッドの下の部分に真正ピラミッドであったことがわかる石積みが残っています。カイロ博物館に展示されている夫婦坐像もメイドゥームのマスタバ墳から発見されました。(マスタバとは・・・古代エジプトで建設された長方形の大墓)カイロから車で1時間半ほど、ピラミッド群の南端にある田舎町ファイユームの郊外には、灌漑事業を進めた二人の王ハワーラとラフーンのピラミッドがあります。これらは、カイロ郊外にあるピラミッドの一番南に位置しています。


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ルクソール(Luxor)

カイロから空路で約1時間。距離にしてカイロの南670kmの所にあります。かつてはテーベと呼ばれ首都としてさかえました。ルクソールは主にナイル川を中心線に西側と東側にわけられ空港や大体のホテルは東岸にあります。東岸は太陽が昇るところとして「生者の町」、西岸は太陽が沈むところとして「死者の町」とされていました。故にカルナック神殿やルクソール神殿は東岸に建立され、王家の谷、王妃の谷、貴族の墓など死を弔う場所として西岸に建てられています。

〜ナイル川西岸〜
ルクソールの見どころの多くがある西側へは、船や橋で結ばれています。

●王家の谷=Valley of the Kings=
全部で60以上が発見されている岩窟墓群。もともとは、盗掘を防ぐため作られた王の墓でしたが現在はほとんど盗掘され副葬品はありません。その中で少ない盗掘ですみ発見されたのが、ツタンカーメンの墓で現在その副葬品や黄金のマスク、石棺は考古学博物館に展示されています。ツタンカーメン王のお墓の上にラムセス6世のお墓が建てられたのが盗掘を免れた原因だと言われています。お墓のいくつかは入場することができ中にはきれいに色が残った壁絵を見ることもできます。入り口にあるビジターセンターで王家の谷の模型があります。(ツタンカーメン王の墓は入場別料金)

●ハトシェプスト女王葬祭殿=Deir el Bahri=
古代エジプトの女王ハトシェプストの葬祭殿。3段のテラス式で、数ある葬祭殿の中でも最も美しく紀元前1500年ほども前に建てられたとは思えないような、遠近法により計算された造りになっています。この葬祭殿は、王家の谷の裏側に建てられており、1〜3階までは長い坂道で繋がっています。中には交易を示したレリーフや多くの列柱が残されています。現在、ハトシェプストのレリーフは義理の息子トトメス3世により削られてしまっているので意図的に削られた跡を見ることになります。トトメス3世がハトシェプストの壁画を削った理由は、定かではありませんが幼いという理由によりハトシェプストが王権を振るったからだという説が一般的に言われています。

●メムノンの巨像=Clossi of Memnon=
西側に入ってすぐ目に入る2つの巨像。この巨像はアメンヘテプ3世のものだといわれ以前は後ろに葬祭殿がありました。石材として使われてしまったため今は完全に破壊されてありません。紀元前27年に起きた地震によりヒビが入り温度差や厳しい日差しで像が痛み風が吹くたびに音が鳴ったことから像が歌うといわれていました。今は修復されそのようなことは起こりません。

〜ナイル川東岸〜
鉄道駅や旅の拠点になる東側。

●ルクソール神殿=Luxor Temple=
カルナック神殿から南に2.5kmのところにあり、以前はスフィンクスの参道により結ばれていました。この神殿はルクソールの信仰神『アメン神』を祀り第18王朝アメンホテプ3世により建てられました。(スフィンクスはアメン神の聖獣)入り口には、ラムセスU世の坐像が2体ありその前にはオベリスクがあります。オベリスクも以前は2本対になって建てられていたのですが、ナポレオンにより持ち出され現在はパリのコンコルド広場にあります。ここに建っているオベリスクは2番目に大きいものといわれています。さらにラムセスU世の中庭にはイスラムのモスクがあります。なぜ、こんなところにモスクがあるのかというとモスクを建てようとした当時、ルクソール神殿は砂に埋まっていたので下に神殿があるなど知らずに建てたそうです。ツタンカーメン王の戴冠式もルクソールで行われたと言われ、ルクソール神殿にはツタンカーメン王の夫婦の坐像もあります。後ろに回ると王妃がツタンカーメンの肩に手を当てている様子が見れます。

●カルナック神殿=Temple of Karnak=
アムン神殿、ムート神殿、コンス神殿をあわせてカルナック神殿とよびます。その大きさは東西約500m、南北1500mもありこの大きさは現存する神殿の中では最大規模です。
見どころである大列柱室は、幅102m、奥行き53mの中に134本もの柱が立っています。中でも中央沿いの12本の柱は高さ23mもあり、ほかの柱より高く花が咲く様子を表していたといわれています。他の柱は15mほどの高さです。大列柱室を抜けるとトトメス1世のオベリスク、娘のハトシェプスト女王のオベリスクがあります。ここにあるハトシェプスト女王のオベリスクは高さ約27mありエジプトで最大のものです。ラムセスU聖の中庭にあるトトメスV聖の礼拝堂には、キリスト教が侵入してきた時に使われていた名残として壁に宗教絵画の絵が描かれています。神殿の東側には聖なる池があり、儀式などの時に使われていたといわれています。聖なる池の前には大スカラベの像があります。この周りを7週すると願いが叶うといわれています。


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デンデラ(Dendera)

ハトホル神殿●ハトホル神殿=Temple of Hathor=
ルクソールの北60kmほどにあり、日帰りでも訪れることができます。この神殿はグレコローマン様式で建てられ、牛の頭を持った愛の神ハトホル女神に捧げられた神殿です。もともとは、イシス神殿、ホルス神殿、ハトホル神殿とありましたのだが現在見ることが可能なのはこのハトホル神殿のみになっており、エジプトに数ある遺跡の中でも最も保存状態の良い神殿のひとつとなっています。この神殿の外壁南側には、数少ないクレオパトラ7世のレリーフとカエサル、息子のカエサリオンのレリーフがあります。また、地下室には不思議なレリーフ(オーパーツ)が残されています。ハトホル神殿の中は薄暗く光が差し込みにくいのですが天井の絵がきれいに残り、レリーフが非常にきれいに彫られています。天井に煤がないことからこのレリーフは電球を描いたのではないかと言われデンデラ電球のレリーフと呼ばれています。

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アビドス(Abydos)

セティ1世葬祭殿 ルクソールから車で2時間。アビドスの周辺は観光客のみの自由行動が禁止されています。ルクソールからの警護車で行くことになります。
●セティ1世葬祭殿=Temple of Seti=
セティ1世が建造し息子のラムセス2世が完成させました。葬祭殿の奥には7つの至聖所があり美しい彩色がされた壁画が残っています。至聖所の6部屋にはアムン神、オシリス神、イシス女神、ホルス神、ラー・ホルアクティ神、プタハ神にセティ1世がお供物を渡している壁画が残されており、7つめの部屋ではセティ1世自身が神として描かれています。裏手にあるオシリス神を祀ったオシレイオン(現在水没)へ向かう通路には第1王朝からセティ1世までの歴代王名が書かれた『アビドス王名表』があります。この王名表にはハトシェプストやツタンカーメンの名前が残されていません。このことから、ツタンカーメン王の存在は知られずお墓は探されなかったといわれています。現在1部は大英博物館にあります。アビドスにもデンデラのハトホル神殿のような不思議なレリーフ(オーパーツ)があります。ここにあるレリーフは戦車やジェット機、潜水艦などの近代兵器のようなレリーフが残されています。


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テル・エル・アマルナと近郊

●アマルナ遺跡=Tel el-Amarna=
古代エジプトにおいて唯一の一神教時代です。第18王朝アメンホテプ4世は宗教改革を行ないテーベから都をアマルナに移しました。こうした背景は、神官たちが力をつけ王権さえ脅かすようになったためでそれらを変えようと多神教から一神教にし、さらに都をテーベから移したのだといわれています。アメンホテプ4世はアテン神を信仰し自らの名前もアクエンアテンとしました。しかし、アクエンアテンは32歳の若さで死んでしまい次の王位トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)により都がテーベに戻ったので、アマルナは約15年ほどの短さで終わってしまいました。さらに一神教をよく思っていなかった神官たちに遺跡はほとんど壊されてしまいます。王妃はエジプトの3大美女ネフェリティティです。ツタンカーメンは2人息子ではなく娘むこだったと言われています。 アマルナ時代は今までになかったありのままを描くアマルナ芸術の発展に力をそそぎました。中でもネフェリティティの胸像は有名です。(現在はベルリン博物館にあります。)アクエンアテンは痩せた顔にぽっこり出たお腹の姿で作品が残されています。 アマルナを観光するときはミニヤという町を拠点とします。アマルナの近郊には日常生活が描かれた39の岩窟墳墓があるベニ・ハッサンや、イエスが赤ん坊の時に訪れたという伝説があるアシュートなどがあります。

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エドフ

ホルス神殿 ●ホルス神殿=Temple of Horus=
ルクソールとアスワンのちょうど中間くらい(ルクソールの南約108km、アスワンの北約123km)のエドフにある天空の神ホルス神を祀っている神殿。2000年前に200年歳月をかけて作られました。エドフはグレコローマン時代、上エジプトの首都でした。神殿は長い間砂に埋まっていたので、ほぼ完全な形で残っています。正面の塔門は高さ36m。横幅79mあります。第二塔門の前には2mほどの大きさのホルス像があります。さらに進み列柱室を過ぎると薄暗い至聖所があります。ここで天井を見ると真っ黒になっているのが分かります。これは、キリスト教の時代に台所として使われていたためです。至聖所はレバノン杉で作った聖船が残っています。この神殿には隙間なくレリーフが掘られ母であるイシス女神の乳をのむホルス神のレリーフ、叔父であるセト神と戦うレリーフなどがあります。

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コム・オンボ

コムオンボ神殿 ●コムオンボ神殿=Temple of Kom Ombo=
エドフより南、アスワンの北45kmにあります。 町のはずれナイル川に突き出た丘の上に、ホルス神と蛇の神ソベク神を祀ったコム・オンボ神殿があります。この神殿は2人の神のために作られた神殿なので2重構造の神殿になっています。プトレマイオス朝時代に建てられ、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に完成しました。ここのレリーフは特徴的なものが多く、最古のカレンダーのレリーフや出産のレリーフ、外科の医療器具などのレリーフなどがあります。天井の彩色もまだ残っています。遺跡の外にはナイル川の水量を測るために使っていたナイロメーターがあります。


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アスワン(Aswan)

カイロの南約900km、ナイル川の東側に位置します。ここには、ヌビア人と呼ばれる色黒い人が多くすんでいます。ナイル川沿いにメインロードがあり、そこから豪華客船やファルーカ(帆船)を見ることができます。カイロとは全く違い静かで自然に囲まれゆったりと時間が流れています。

●イシス(フィラエ)神殿=Temple of Isis,Philae
古代エジプトでは聖なる島と呼ばれ、神話ではオシリス神の島でありイシス神がホルス神を産んだ島だと言われています。そのため神殿内のレリーフもイシス神とホルス神のものが多く見られます。神殿は、キリスト教会として使われていた時代もあり異教とされレリーフが削られたり、碑の破壊が多発しました。もともと神殿があったフィラエ島はナイル川の真珠と呼ばれていましたが、アスワンダムの建設により水没してしまう運命にありました。しかし、ユネスコの協力(移転費はケネディ大統領が払ったといわれている)により、1980年隣にあったアギルキア島に移転されました。このとき、島の形も似せるために島を切り出しフィラエ島と同じ形にしました。現在はこの島がフィラエ島と呼ばれています。

●きりかけのオベリスク=The Unfinished Oberisk=
アスワンには神殿で見られるオベリスクを切り出していた石切り場などがあります。きりかけの途中にヒビが入り放置されたと考える切りかけのオベリスクは18〜19王朝のもので、高さ40m重さは推定1170tあるといわれています。このオベリスクは完成していたらエジプト1大きなオベリスクになっていました。


●アスワン・ハイダム=Aswan High Dam=
1970年にソ連とドイツの援助をうけて完成しました。もとは、アスワンダムというダムがあったのですが力不足のため、さらに上流に大きなダムを作ったのがこのダムです。完成に伴い、全長500kmにも及ぶ人造湖ナセル湖を生み出しました。ハイダムの建設によりナイル川の氾濫がなくなり、安定した電力の供給が受けられるようになりました。しかし、それと引き換えに45の村や多くの遺跡が水底に沈みました。遺跡のいくつかはユネスコの支援などもあり水没せずに移動しました。



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アブシンベル(Abu Simbel)

●アブシンベル大神殿=The Great Temple of Abu Simbel=
アブシンベル大神殿アスワンの南280kmに位置するエジプト最南端の見どころ。アスワンダム建設のため湖のそこに沈んでしまう運命にあったためユネスコの協力のもと1964年〜1968年にかけてブロックにわけ切り出しもとの位置より60m上にそっくりそのまま移動しました。アブ・シンベルに行くにはアスワンからコンボイになりで行けるほか、飛行機になります。コンボイだと早朝と昼に1回ずつ、飛行機だとアブ・シンベルに付いた3時間後に再び元の場所に向けて飛び立ちます。アブ・シンベル大神殿は、自己顕示欲が強かったラムセス2世により作られた神殿で正面には高さ20mのラムセス2世の像が4体もいます。神殿事態の大きさは高さ33m奥行き63mもあります。大列中室のレリーフにはヒッタイトとの〈カディシュの戦い〉を描いたレリーフがあります。中でも戦車に乗り弓を引くラムセス2世のレリーフは有名です。また、史上最古の講和条約ヒッタイトとの協定内容が記されたヒエログリフのレリーフも必見です。至聖所には4体の神像がありその中の1つは神聖化されたラムセス2世。1年に2回、春分の日と秋分の日は至聖所まで日が入り4体のうち3対を順に照らします。闇の神であるプタハ神は照らされず、ラムセス2世の像が一番長く日が当たります。大神殿の横にある小神殿は王妃であるネフェリタリのために作られたハトホル神を祭る神殿で正面には4体のラムセス2世の立像と2対のネフェリタリの立像が並んでいます。列中室にはハトホル神のレリーフが彫られた柱などがあります。 アブ・シンベルで行なわれる音と光のショーは、ライトアップのみでなくプロジェクターを使い岩山をスクリーンに見立て神殿の歴史やラムセス2世の冶世の物語が進んでいきます。ショーも迫力がありすごいのですがこのときに見られる星もすごくきれいにみることができます。


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アレキサンドリア(Alexandria)

アレキサンドリア(カイトベイ)カイロに次ぐエジプト第二の都市でカイロからは車で3時間〜3時間半、空路で45分ほどの地中海に面した港町です。地中海性気候なので、エジプトの他地域よりかは夏の暑さは和らぎ、冬にはみぞれが降ることもあります。 アレキサンドリアはアレクサンドロス大王により建設された街で王の死後に首都がおかれました。そのころアレキサンドリアは地中海文化の中心地として全盛期を迎えました。紀元前30年にアクティウムの海戦に敗れクレオパトラ7世が自殺して以降はローマに征服され、7世紀にはアラブの侵入を受け19世紀の近代化が始まるまでは廃墟の多い港街として過ぎました。そんなアレキサンドリアが復権したのはムハンマド・アリ朝の時代(1805年〜)になって西洋化の波が押し押せてくるのと、ともにだったので街の中にはどこかしらヨーロッパの色彩を感じます。ここでは、市民の足に路面電車が使われています。

●カイトベイ要塞(Qaytbey)
古代7不思議の1つファロスの灯台跡にたてられた要塞。ファロスの灯台とは、高さ120Mで、50KM以上先からもその光が確認できたらしい。建造は紀元前3世紀頃で、アレキサンダー大王が考えプトレマイオス2世が建設したと言われています。しかし14世紀に起きた地震により崩壊してしまいました。そして15世紀後半にスルタン・アシュラワ・カイトベイによりこの石を使って現在の要塞になりました。要塞は三重構造の堅固な造りになっており現在は海軍博物館になっています。休日などは多くの人で賑わっています。

●コム・エル・シュカファのカタコンベ(Catacomb of Kom al-Shuqafa)
1900年台偶然にロバが穴に落ち発見されたエジプト最大の共同墳墓でそれまでは砂に埋まっていました。地下3階まであり古代エジプトと古代ローマの建築様式が取り入れられています。入り口にはメデューサのレリーフがありますが奥の部屋にはアヌビス神の壁画などもあり珍しい墳墓です。1〜2世紀は貴族階級の墓でしたが、3世紀にはいると一般の共同墓地になりました。そのため多くの穴があります。99段のらせん階段を下りると墳墓の中は迷路のように入り組んでいます。1つの部屋には馬の骨があります。墳墓内の写真撮影は禁止です。

●ポンペイの柱(Pompey’s Pillar)
町の小高い丘の上に建つ、柱で高さは27m、周囲は8mもあります。柱と一緒にスフィンクスも2体あります。このポンペイの柱にはいろいろな逸話があります。中でも知られているのがローマ皇帝ディオクレティアヌスが建てた図書館の柱の1本だという話です。建設当時はこのような柱が400本建っていたといいます。丘の下の周りには折れてしまった柱の跡もあります。

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シナイ半島(聖カトリーナ修道院)

アレキサンドリア(カイトベイ)シナイ半島は、エジプトの国土8%にあたり大半が砂漠地帯です。1年を通してマリンスポーツを楽しむことができ海沿いでは、高級リゾート化が進められています。特にラス・モハンマド国立公園やナブク国立公園はダイビングスポットとして有名です。主にヨーロッパからのバカンス目当ての人が多いです。

●シナイ山と聖カトリーナ修道院(Mt.Shinai&St.Katherine’s Monastery)
モーゼが十戒を授けられたとされる山。標高2285mあり上るには3750段の厳しい階段を上るかラクダにのり途中まで行きそこから800段の階段を上るかの二通りがある。少なくとも往復で4時間ほどかかります。さらに冬になると雪が降るほど他の地域よりも寒いのでしっかりした防寒具が必要です。シナイ山に登る途中の分かれ道の先に修道院はあります。修道院はいびつな4角形をしており何回か修復されています。


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西部砂漠オアシス(Western Desert & Oases)

エジプトは国土の90%が砂漠。砂漠を3つの地域ごとわけるとナイル川の西側を西方砂漠、東側を東方砂漠、シナイ半島のシナイ砂漠にわけることができます。3地域の中でも乾燥した地域とされ世界でも最も降水量が少ない西方砂漠。時には20年以上雨が降らないということもあります。そんな西方砂漠にも、4箇所のオアシスがあります。オアシスは砂漠内の海抜0m以下の窪地に地下水がたまり人々が集まりできます。砂漠ですが動物も多く生息し農業も営まれています。特にナツメヤシは古代から採れた作物の1つで現在は輸出も行なっています。

●バハレイヤ・オアシス(Bahariyya Oasis) 白砂漠
カイロから約4〜5時間ほどの距離にあるオアシス。第18王朝から歴史に名が残り繁栄したのは第26王朝。後にアレキサンダー大王も訪れ神殿を造りました。保存状態などはあまりよくありませんが、エジプトで唯一アレキサンダー大王のカルトゥーシュが黒砂漠発見されました。1999年には100体を超えるミイラの発見があり、この地域にはほかにも1万体近いミイラが埋まっているのではないかと言われています。 近郊には、黒砂漠と呼ばれる三角形の黒い小山が続くエリアがあります。この黒い小山は玄武岩によるものです。中にはギザの3大ピラミッドに似たものもあります。 さらに進むとクリスタル・マウンテンと言われる水晶のような岩が広がるエリアがあります。ここの岩は、太陽光により岩がキラキラして見えます。すべて天然石です。(※ここの石は持ち出し禁止です。) そしてさらに進むと西方砂漠1番の見どころ白砂漠に着きます。ここは変化に富んだ奇岩が無数に点在するエリアです。これらは、石灰岩が長い年月をかけて風化し現在の奇妙な形になりました。大きいものでは高さ5mほどのものもあります。夕暮れ時は、夕日が当たり幻想的な風景が広がり、夜になると驚くほどたくさんの星がきれいに見られます。

●ファラフラ・オアシス(Farafra Oasis)
白砂漠からすぐ近くにあるオアシス。古代よりリビアからエジプトを守る重要な軍事拠点でした。芸術家バドル氏の私設博物館があり、オアシスの村に住む住民を素焼きの人形や砂漠の砂を使った砂絵で表現した、素朴な村の暮らしを描いた絵画が展示されています。

●ダフラ・オアシス(Dakhla Oasis)
アラビア語で『真ん中』を意味するエジプト第2の人口がいるオアシスです。町の中心は古代エジプト、アモン神の妻の名前がつけられておりムートと呼ばれています。ムートが中心になる前は、35km離れたカスルという町が中心地でした。カスルは迷路のように路地が入り組んでいます。ミナレットの上からはカスルを一望することができます。

●ハルガ・オアシス(Kharga Oasis)
西方砂漠最大の町。10km離れた場所にある【ハガワートの死者の町】は2〜7世紀までのキリスト教徒(コプト教徒)の共同墓地遺跡で墓の中には、アダムとイヴ、ノアの箱舟、モーゼの出エジプトなど聖書のシーンが鮮やかに描かれています。


衛星写真を見る(バハレイヤ・オアシス上空)


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■エジプトの基本情報

■エジプトってどんなとこ?

エジプトは、アフリカの北東部、ナイル川中・下流域に位置する国で、首都はカイロです。
エジプトは、世界4大文明の発祥地のひとつで、紀元前3000年頃国家が形成され、ファラオが統治する国となり、神々をあがめる宗教や、学問の普及、ピラミッドや神殿の巨大建造物建設など、高度な古代文明が生まれました。紀元前30年頃ファラオの時代が終わり、ローマ帝国の支配を受け、キリスト教も伝来。641年にエジプトを征服したアラブの植民地となり、エジプトのイスラーム化が始まりました。これまでキリスト教の信者だった人々は、イスラームに改宗し、カイロはイスラームの中心地として発展。そのアラブ王朝も衰退すると、オスマン=トルコ、英国に支配されましたが、1952年にナセルの率いる自由将校団によるエジプト革命が起こり、約2300年ぶりにエジプト人による国家が復活しました。1869年に開通したスエズ運河も1956年に国有化し、4次に亘る中東戦争の後、1997年にイスラエルと平和条約を締結し、アラブ世界の盟主的存在となり、中東和平の一役を担っています。
国土の90%以上が砂漠のエジプトは、地中海沿岸や紅海などにリゾートがあり、世界遺産に登録されたピラミッドや、神殿群、墓地遺跡、イスラームの壮麗なモスクなどが残され、訪れる観光者は毎年400万人を超えています。

■エジプトの気候は?

日差しは強く暑いのですが、乾燥しているため40℃近く上がる夏場でも日陰に入り風に当たると心地よく過ごせます。季節は、酷暑の5〜10月と温暖な冬11〜4月に分けられます。気候は大きく分けて4つあり、ナイル川河口に広がるデルタ地帯の地中海性気候。カイロ周辺の半乾燥気候と半砂漠気候、カイロ以南の砂漠気候に分けられます。地中海地方以外は雨が少ないのですが、アレキサンドリアを始め地中海地方には冬期に雨が降ることがあります。3〜5月はハムシーンと呼ばれる砂嵐が吹くこともあります。。

■エジプトでの服装は?

基本的に夏服ですが、直射日光が強いので日本のように半そでなどで出歩くと肌が痛いほどやけてしまうことがあります。また、列車やバス、ホテルなども冷房がききすぎることがあるので、着脱しやすい薄手のパーカーや長袖のシャツを1枚持って行くことをお勧めします。砂漠でキャンプをする場合などは朝夜と昼の温度差が激しいのでフリースなどが必要になります。靴などはホテル内や町を少し出歩くくらいならサンダルで良いのですが、砂漠や遺跡など観光する場合は歩くことが多いので履きなれた靴が良いでしょう。他には日差しよけのため帽子、サングラス、砂よけや首やけに役立つスカーフなど日焼け対策は必需品になります。砂嵐の時期にはマスクもあると役にたちます。ホテルでプールに入る場合は水着も必要です。イスラムの国ですので、素肌の出すぎる服装や体のラインが出すぎる服装は避けるようにするのが賢明です。男性のハーフパンツ、タンクトップなども注意が必要です。なるべくヒザ以上と、肩が見えないような服装が好ましいです。女性はヒザ以上、ひじ以上の服装が好ましいです。

■エジプトの習慣・マナーなど注意することは?

よからぬトラブル防止のためにも肌の露出した服や派手な振る舞いはしないことが賢明です。またイスラムの女性を撮影するときは事前に了解が必要です。お酒も観光ホテル以外ではなかなか手に入りません。 バクシーシと呼ばれるチップに似た習慣があります。これはイスラム教の喜捨(お金に余裕のある人がお金に困っている人にお金やものを与えること)がねじれた形でできたもので、持たぬものが積極的にせびるものです。チップはサービスに対する謝礼という感覚。ホテル以外のトイレを使う時には大体チップが必要になります。(1.LE)チップと引き換えにトイレットペーパーをもらいます。 飲料水は、ミネラルウォーターをお飲み下さい。

■持って行くと便利なもの?

日中は暑くたくさん汗もかくのでミネラルウォーターだけでもいいのですが、スポーツドリンクの粉末があると吸収もよく潤せます。オアシスに行く場合や、中級以下のホテルなどはありや蚊がでることがあるので、アリの巣ころりや、蚊取り線香があると使えます。車で長距離移動の場合(アスワン〜アブシンベルなど)ゆれが大きいことがあるので、酔いにくい人でも酔い止めがあると良いでしょう。また車での長距離移動の際も飛行機などで使う枕があると便利です。小さいペンライトも、もしもの時のため音と、光のショーの帰り道などに使えます。。

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エジプト・アラブ共和国
Arab Republic of Egypt

エジプトの国旗
政体: 立憲共和制
言語:アラビア語
住民:アラブ人(その他、少数のヌビア人、アルメニア人、ギリシャ人等)
宗教:イスラム教、キリスト教(コプト教)
面積:59万Km2(日本の約1.6倍)
人口:7,257万人
通貨:ポンド£E(アラビア語でギニー)
時差:マイナス7時間
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